2010年7月16日金曜日

ロジカルな部分と感情の部分

今回は頂いたメールを紹介しつつ「継続する」ことについてさらに掘り下げていきたいと思います。

前回も一部ご紹介した方ですが、メール内容をさらにご紹介します。


==ここから==

私は現在2年以上毎日欠かさず滑舌の練習をしています。

また1年以上新聞の見出しをノートにメモし続けています。

最近では特に目的意識をやっているような感じではなくなりました。

毎日歯を磨いたり掃除をしたりするのと変わらないくらい習慣化してしまっています。

継続するための要素として私が考えているのは「目標を立てない」ことです。

世間一般的な考え方とは真逆かもしれませんが、ゴールを決めず気楽にやることが私にとって最も向いたやり方です。

「やらなくちゃ」と思ってやると無意識下でどうしても拒否反応が出てきてしまいます。

継続するといっても毎日やる必要が絶対にあるわけではありませんし、「気が向いたらやる」「思い出したらやる」くらいの気持ちで良いのではないかと思います。

ただこの考え方でやると、どうしても運動を継続することができません。

運動不足のためにマラソンをしようと考えたのですが、外に出るのが億劫に感じてしまいます。

「運動不足の解消」というところに義務感が出てきてしまうためです。

そこで逆質問になってしまいますが、運動を継続して行う方法があればどなたかに教えていただきたいと思います。

==ここまで==


この文書を読ませて頂いて、私が一番関心があったのが次の2点です。


・「目標を立てない」

・この考え方では運動を継続することができない



まず、「目標を立てない」ですが、この方の場合は

やることを義務化することで無意識下で拒否反応が起こると言っています。


一般的に書籍などでは、目標を立ててその目標をより明確化して、現在やるべきことをまで落としこむ、ということが言われています。

しかし、そうすることで「今日やらなければいけない」ということに繋がり、やる気を失う原因になっている可能性もあるのではないでしょうか。


目標を立ててそれに添った計画を組み立てるというのはとてもロジカルなことです。

そして、やる気が上がる、やる気が下がる、というのは感情の話ですよね。


ロジカルに計画を組み立てることで、モチベーションがあがるのであれば、それはやるべきですし、逆に下がるのであれば、目標を立てたり1日1日の計画を立てていくことはするべきではないのかもしれません。


色々なところで目にする、

「目標を立てよう」

「目標を明確にして紙に書いて持ち歩こう」

という言葉は、本を読んでいる分には1番大切なことのように思えていきますが、感情が伴わないのであればどれほど優れた「やり方」であると言われても結果が出ないのではないでしょうか。


自分の「やる気を観察する」、感情の部分を「観察する」ということはとても大切なことだと思います。




2つめの「この考え方では運動を継続することができない」ですが、これは本当に「できない」ことでしょうか?


毎日やる必要はなく、気が向いたときにするけれど、毎日空気を吸うような感じで、自然に「運動ができる」という人もいると思います。


一旦、毎日自然にできるようになるものには、読書や滑舌の練習のようなものも運動も関係がないのではないでしょうか。


ここの部分については「運動」を継続して出来ている人に是非コメントを頂けると嬉しいですね。


「滑舌の練習」や「1年以上新聞の見出しをノートにメモする」ということと「運動する」ということの違いは何なのか?


あなたはどう思われますか?



この内容を読んで感じたことをコメントして頂けると嬉しいです。^ ^

4 件のコメント:

  1. 初めまして。
    毎日読ませて頂いております。

    私が思うに、習慣になるまでには、
    意識して続けてそれが自然になって習慣となる場合と
    意識せずとも最初から自然にできてそれが習慣となる場合とあるように思います。

    そしてその2つの差というのは好みの問題である気がします。
    さほど自分が嫌でないと思うものは意識せずとも自然にできるが、自分が嫌だ、したくないと思うものは、意識してやらないとできないのではないか、そのように思うのです。

    滑舌の練習などを続けられているのは、それらについて抵抗感がさほどないからで、運動不足だけど外に出るのが億劫だと感じるということは、外に出てマラソンするのが嫌だ、楽しくないと感じているからではないのでしょうか。

    運動すること自体が嫌いでないのであれば、自分の好きな運動をすることから始めれば、さほど抵抗なく習慣化できるかもしれませんね。

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  2. >運動すること自体が嫌いでないのであれば、自分の好きな運動をすることから始めれば

    「運動をする」という視点で考えれば確かにマラソンに限る必要は確かにありませんね。

    何が本来の目的なのか、にもどって考えてみると、その手段は実は結構あるということが分かりますね。^ ^

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  3. このメールを書いた本人です。
    G様、渡辺様、コメントをありがとうございました。
    まさか自分のメールがブログに載っていようとは(汗)

    好みの問題というのは確かにあります。実際私は声を使うのが好きなので滑舌練習が苦になりません。またニュースを見るのも嫌いではないので、メモをすることにもなれました。

    なぜマラソンをすることにしたのかと言いますと、体力をつけたかったため有酸素運動の中で一番手軽にできるものだと考えたからです。ただ、運動は好きなのですが面倒なんですよね。この相反する気持ちが混在している感覚って理解できるでしょうか?「映画は好きなんだけど、映画館に行って観るのは面倒」みたいな感じでしょうか。「5年前は余裕でできていたんだし、久しぶりにやってみるか!」なんて意気込んで再びやってみたら、余りに体がなまっていてビックリしてしまうといった経験はありませんか?5年前となると私は高校生だったのですが、その時は確かに辛かったけれどもマラソン大会で8km走れていたんですよね。でも今は3kmくらいでばててしまいます。きっといつかは5年前の水準に戻ることができると思うので頑張ろうと思います。自分でもあれこれ継続法を考える中で、最近は「結果を記録する」方法を試しています。その日にどれくらいやったかを記録するだけです(私は頭の中でどれくらい走ったかを覚えているだけですが)。以前より100mでも長く走れたら、それだけで案外満足するものですよ。よろしければ試してみてください。

    最後に、これから一気に暑くなるので体調管理にお気を付けください。では。

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  4. 好きなことではあるけれど、それをするまでが億劫、という事はありますよね。
    準備段階で嫌になる場合は、その準備をいかに簡単にできるようにするのか。
    自分のアイデアのだしどころでもあります。
    私も夜にランニングをしようとしていましたが続かなかったので、ウオーキングにしたら続きました。
    有酸素運動という共通点で中身を変えてみたところ続くようになりました。

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